【開催レポート】第43回パラリンピック研究会ワークショップ「アジアにおけるパラスポーツ振興:アジアパラ競技大会を中心に」
プレスリリース要約
写真左から藤田、井田、陶山、安岡、井谷、遠藤、中森
ワークショップはオンラインで開催され、講師に日本パラスポーツ協会国際部次長の安岡由恵氏、モデレーターに日本福祉大学スポーツ科学部の藤田紀昭教授を迎え、パネリストには杭州アジアパラ競技大会日本代表選手団団長を務めた井田朋宏氏、パラ陸上の井谷俊介選手、東京保健医療専門職大学の陶山哲夫学長、愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会事務局の中森康弘副事務局長、パラリンピック研究会研究員の遠藤華英が登壇。アジアにおけるパラスポーツ振興の歴史、2026年に日本で開催される愛知・名古屋2026大会におけるアジアパラ競技大会の開催意義や課題について討論し、議論を深めました。
ワークショップ後半、総合討論の様子
登壇者のコメント
■陶山哲夫(東京保健医療専門職大学 学長)
1975年当初、フェスピックは、障がいのある人たちをいかに社会参加させるかという、福祉的な意味合いから出発した。その後、激動の時代を経て、競技性の高いスポーツ大会になり、2006年にはフェスピック連盟にアジアパラリンピック評議会と西アジアパラリンピック委員会が加わり、APC(アジアパラリンピック委員会)が発足。2023年には表記をAsPCと改め、IPCの地域組織として活動を続けている。愛知・名古屋では、健常者をインスパイアするという原点に戻ることが必要。健常者も一緒に楽しめる大会にし、地方自治体においては障がいのある人にどういうサービスをし、観客をどう動員するか。その柱を作り直して再出発することが求められるであろう。
【陶山哲夫(すやま・てつお)プロフィール】
東京保健医療専門職大学 学長。
1997年よりパラスポーツに携わり、以降ストーク・マンデビル大会をはじめ、パラリンピック大会、アジアパラ大会などさまざまなパラスポーツ大会に帯同医として参加。2002年より日本障がい者スポーツ協会(現:日本パラスポーツ協会)医学委員長、およびアジアパラリンピック委員会スポーツ医科学委員長を務め、2023年より日本パラスポーツ協会医学委員会顧問。2019年のアジアパラリンピック委員会理事会において、アジア地域の障がい者スポーツの発展に寄与した者を顕彰するアジアパラリンピック委員会大賞のアジア特別賞を受賞。
■遠藤華英(パラリンピック研究会 研究員)
パラスポーツ振興の指標のひとつに、国内の統括組織が整備されることがある。それだけでは広がらないこともあるが、過去にフェスピックを開催したタイやマレーシアの現象を見ると、公共交通機関のバリアフリー、大学生ボランティアの育成、健常のアスリート同様の報奨金が整備されるなどのレガシーが残されている。途上国では渡航費はおろか参加費を捻出できないケースが多々あり、AsPCの前身であるフェスピック連盟が途上国の参加を支援するなど、何も参加経験のないところに種をまくきっかけを作ってきた。国際競技大会の開催は難しいものの、その意義は大きいと感じている。たとえパラリンピックには出られなくても、アジアの大会に参加した選手、スタッフがいろいろな国や選手の事情を知って帰っていくだけでも素晴らしいことだと思う。
【遠藤華英(えんどう・はなえ)プロフィール】
日本財団パラスポーツサポートセンターパラリンピック研究会研究員。
同志社大学スポーツ健康科学部スポーツ健康科学科 助教。同志社大学ソーシャルマーケティング研究センター 研究員。 2023年度スポーツ・フォー・トゥモロースポーツ国際開発リカレント研修において講師を務める。研究分野はライフサイエンス、スポーツ科学、スポーツ政策。パラスポーツを通じた国際協力に関する研究に注力。
■中森康弘(愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会事務局 副事務局長)
愛知・名古屋2026大会は、アジア競技大会とアジアパラ競技大会が同時に行われることに意義があると考えている。開催都市契約の交渉には長い時間がかかり、AsPCからもだいぶ懸念されていたが、ようやく2023年10月3日に締結することができた。アジアパラ大会のコンセプトは、アジア大会のそれとほぼ同じだが、「共生社会の実現」を含んでいる。さらに既存施設の活用について、いかにアクセシブルな施設にしていくかが大きなポイント。また、選手村を作らず、ホテルに分宿する点が一番大きな課題で、まだ克服できていない。他にも課題は多くあるが、成し遂げるしかない。
【中森康弘(なかもり・やすひろ)プロフィール】
愛知・名古屋アジア・アジアパラ競技大会組織委員会事務局 副事務局長。
日本体育・スポーツ政策学会理事、日本オリンピックアカデミー副会長、日本スポーツマンクラブ理事。筑波大学大学院修了。日本体育協会にて指導者育成事業を担当し、1991年に日本オリンピック委員会(JOC)に移籍。東京2016オリンピック・パラリンピック招致委員会事務次長および東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会理事として招致活動に貢献。
■井田朋宏(杭州アジアパラ競技大会日本代表選手団団長)
杭州アジアパラには、アジア44ヵ国が参加した。日本は出場した20競技中18競技で金メダル42個を含む計150 個のメダルを獲得。金メダルランキングでは、中国、イランに次いで3位(パラリンピック競技に絞れば2位)だった。さらに、パリ2024パラリンピックの代表権につながる射撃、卓球、車いすテニスの3競技において代表枠を獲得できたこと、メダリストの半数が20歳代以下のアスリートだったこと、選手発掘事業として行っているJ-STARプロジェクトの出身者が10個のメダルを獲得するなど、ベテランと次世代の選手、両方の活躍が光る大会だった。国際的にはインドの成長が目覚ましく、そのほかタイも強くなっており、愛知・名古屋に向けて国際情報の収集や分析を進める必要がある。
【井田朋宏(いだ・ ともひろ)プロフィール】
日本パラリンピック委員会 事務局長。日本パラスポーツ協会 強化部長。
東京都多摩障害者スポーツセンターおよび東京都障害者総合スポーツセンターの指導員勤務を経て、1994年に障がい者スポーツ専門雑誌の編集者に転身。2007年より日本障がい者スポーツ協会(現:日本パラスポーツ協会)にて広報・マーケティング部門を担当。ソウル、バルセロナのパラリンピック大会において陸上競技の日本代表 コーチ、シドニー大会で同競技の日本代表監督、東京および北京大会で日本代表選手団副団長、杭州アジアパラ競技大会では日本代表選手団団長を務める。
■井谷俊介(パラ陸上選手)
杭州アジアパラでは、3年ぶりに日本代表として総合スポーツ大会に出場。緊迫した雰囲気の中でパフォーマンスを発揮でき、手ごたえも感じられた。国内では味わえない競い合いもできるし、新しい選手も出てくる中で、滅多に得られない経験もできる。アジアで一番を決めるという位置づけの大会の存在は大きな緊張感があるし、パラリンピックに次ぐ大きな大会と捉えている。ジャカルタと杭州の2大会を経験したが、とくに杭州は、会場の雰囲気や会場設備すべてにおいて今までにないくらいクオリティの高い大会だったし、観客も盛り上がっていた。まさに自分が住んでいる愛知でアジアパラがあるのは、アスリートとして嬉しいし、杭州アジアパラ以上の大会となることを期待したい。
【井谷俊介(いたに・ しゅんすけ)プロフィール】
パラ陸上選手(T64)。SMBC日興証券株式会社所属。
20歳で交通事故により右脚の膝から下を切断し義足になる。本格的に競技を開始した10か月後、インドネシア 2018アジアパラ競技大会の100mにて優勝。2019年世界パラ陸上では日本人初の100m決勝に進出。2023年杭州アジアパラ競技大会では200mでアジア新記録となる22秒99で制し、金メダル獲得。2024年のパリパラリンピック大会を目指している。
■藤田紀昭(日本福祉大学スポーツ科学部 教授)
パラリンピックのレガシーの研究をしているが、とくにロンドン大会をテーマにしたイギリスの論文には、「障がいのある人がすごいところばかりを見せると、逆にできない人が低く見られてしまう」という内容のものもある。しかし、すべてが一度では解決されることはないと思う。氷は外側からしか解けないというたとえのように、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、いい社会になっていくのではないか。とにかく、取り組みをやめるとそこで止まってしまうので、愛知・名古屋のアジアパラでは、大会の成功を目指すことは当然だと思うが、大会後を見据えて大会をどう位置づけるかについて考えていく必要があると感じた。
【藤田紀昭(ふじた・もとあき)プロフィール】
日本福祉大学大学院スポーツ科学研究科教授、博士(社会福祉学)。
筑波大学大学院体育研究科修了。徳島文理大学専任講師、同志社大学スポーツ健康科学研究科教授などを経て現職。研究分野はスポーツ社会学、障害者スポーツ論。現在、スポーツ庁スポーツ審議会「健康・スポーツ部会」委員、および日本パラスポーツ協会技術委員会副委員長。
■安岡由恵(日本パラスポーツ協会 国際部次長)
東京2020大会の招致が決まって以降、「多様性」「共生社会」という言葉は、国内で定着してきたように思う。 それはコマーシャルなど、いろいろなコンテンツでマイノリティと呼ばれる人を目にするようになったことにも現れている。 しかし、本当の意味での共生社会への理解が進んでいるかといえば、決してそうではないと思うし、まだまだ始まったばかり。東京大会でそういった言葉を知るところまでは達成できたとするならば、次の愛知・名古屋では、その言葉の意味を自分たちの中にどれだけ落とし込んでいけるか。共生社会とは、いろんな人たちが自分たちの今持っている権利を少しずつ差し出し、みんなが活躍できる場を共有しようという考え方なので、そんなに簡単に進むものではない。ただ、その言葉の意味を本当に理解している人たちを増やそうと推進していくことが愛知・名古屋の大会に求められる役割なのではないだろうか。
【安岡由恵(やすおか・なおえ)プロフィール】
日本パラスポーツ協会 国際部次長。アジアパラリンピック委員会(AsPC)理事。
東京1964パラリンピック大会の成功に尽力した故中村裕博士が創設した社会福祉法人太陽の家を経て、2001年より日本パラスポーツ協会で国際渉外の業務に当たる。東京2020大会に向けては、のべ68のアジア地域の国々に対する国際協力事業に関わり、国際パラリンピック委員会公認教材『I’mPOSSIBLE』日本版事務局副プロジェクトマネージャーとして、パラリンピックを通じた共生社会への気づきを推進する活動にも携わっている。
日本財団パラスポーツサポートセンターパラリンピック研究会について
パラリンピックやパラスポーツに関する学術研究、社会調査を行い、それらの研究成果を発表する紀要や、大学・ 研究機関と連携したシンポジウムなどを定期的に開催しています。
▽パラリンピック研究会サイト
日本財団パラスポーツサポートセンター(パラサポ)について
2015年5月に活動を開始した日本財団パラスポーツサポートセンター(パラサポ)は、「SOCIAL CHANGE with SPORTS」をスローガンに、パラスポーツを通じて、一人ひとりの違いを認め、誰もが活躍できるダイバーシティ&インクルージョン(D&I)社会の実現を目指しています。
設立以来、パラリンピック競技団体の運営支援とパラスポーツ専用体育館「日本財団パラアリーナ」の運営、そして約80名のパラアスリートを中心とした講師たちと一緒に知る、学ぶ、体験する、小・中・高・特別支援学校向け教育プログラムと、企業・団体・自治体・大学向けの研修プログラム「あすチャレ!」を展開しています。
2022年1月1日付けにて団体名を日本財団パラリンピックサポートセンターから 「日本財団パラスポーツサポートセンター」に改称いたしました。
▽パラサポ公式サイト
引用元:PR TIMES